don'nt U θink?

 予定がたくさん詰まっていると時間は早く過ぎる。楽しみなことでも嫌なことでも良い。忙しくしていた方が日々は充実する。忙しくしていればどこかで待っている嫌なことを考える暇もなく、それも気付いたら終わっていたりする。

楽しみな予定を待ち遠しく思っているのは良い。楽しみにしていたことが終わるのは悲しい。それなら、永遠にこないその日を待ち焦がれていたいような気がしてくる。『火の鳥』の未来編を思い出した。人類が滅亡した地球でたった一人で途方もない時間を過ごす不死身の男の話。上手く簡潔に説明できないので内容は割愛する。要するに彼はたった一つの生きる楽しみを奪われてしまったってことです。

 

終わったからといって生きる希望を失うような壮大な予定はないけれど、なんとなく無気力になることはあるでしょ?

終わってしまうなら次の予定を入れれば良い。それを楽しみにさせ続けてくれるなら実現しなくても構わない。思い出を残そうと写真を撮りたくなってしまうけれど、次があるならそれもいらないのかも。「写真になっちゃえばあたしが古くなるじゃない」って椎名林檎も言ってるし。写真より記憶で残したい。五感に刻みたい。でもやっぱり写真は見返したくなるし、iPhoneのカメラロールのデータが飛んだら発狂すると思う。

口約束で良い。それだけで私は結構どんなことでも頑張れてしまうから。

 

 

最後の夏 あるいは 都会の香りその2

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平成30年。世の中は「平成最後の○○」で溢れている。小説のフレーズのような「平成最後の夏」は既に使い古されているけれど、やっぱりどこか胸がざわつくような感覚を覚える。

私は今年度で大学を卒業できるはずなので、学生生活も最後になる。今は学生生活最後の夏休み。就活を終え、課題のレポートを提出したら適度にバイトをしつつ好きなことをするだけ。

 

久しぶりに東京に行った。3年ぶりに会った人の爪はもう深く艶やかな青ではなかった。私が真似してあけたインダストリアルもつけていなかった。私も1年以上つけていないので、とっくにお揃いではなかったのだけれど。甘い香りだけは同じだった。でもそれは電子タバコではなくて、シーシャになっていた。何で東京にいる知り合いはみんなシーシャが好きなんだろう。

 

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「お前は変わったね」

貴方も変わったよ

「もう会わないと思ってた」

私は忘れられてると思ってたよ

「忘れないよ」

あの頃、本当に私のこと好きだった?

「んー、普通に好きって感じ」

まあその程度だよね

「お前は?」

人生捧げても良いと思ってたよ

「今は?」

別にもう一生会わなくても良い

「俺は東京で就職するの待ってたよ」

私は他に人生捧げたい人ができたよ

「お前すぐ他人に人生捧げるよね」

誰かのためじゃなきゃ生きられない

「そこは変わってないね」

貴方は匂いが変わってないよ

「何それ気持ち悪い」

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 別に一生会わなくても良いけれど、きっと東京に来るたびに会うと思う。そしてたいして内容のない会話をしてすぐ別れるのだ。普段の生活の中でお互いのことを考えたりはしない。時々ふと、思い出すだけ。

 

 

 私にとって夏はセンチメンタルな季節なので、夏の曲は元気で明るいものより切ない雰囲気のものが好きだ。1番好きな夏の曲は「夏をあきらめて」。この曲には確かに暑くて眩しい夏が描かれているのに、哀愁に溢れている。私のイメージする夏そのもの。あと童謡というかこども向けなんだけど、「ぼくとイルカの夏」という曲も良い。歌詞は明るい雰囲気で、メロディーにはどこか切なさを感じる。夏の哀愁は小学生の頃から感じていた。夏の夕方に自宅の庭で何故か急に寂しくなって泣いたことを思い出す。小学校の2年か3年の時だった。それ以上の詳しいことは何も思い出せない。当時の私には分からなかったけれど、今の私と同じ感覚をあの頃も味わっていたんじゃないかなと思う。

 

 

夕方の感傷も、 真夜中の息苦しさも、フラッシュバックするトラウマも、心臓を抉る言葉も、それすらも全部愛おしいと思える。なんでってそりゃあ、最後の夏だからね。

memento mori

  生きていることが苦しくて自殺を図った人が病院に搬送された。それに対して「まだ死んでない、必死で闘ってる」「死ぬわけないよね、頑張って」とか言う人たちを見た。辛くて解放されたくて死を選んだのに、闘ってるわけがない。彼が選んだのは楽に死ねる方法ではなかったけど、それよりも生きていることの方がずっと苦しかったのだと思う。彼は息を引き取ったらしい。もしも周りの人たちの願い通り、死なずに目を覚ましていたとしたら、彼はどれほど絶望するだろう。それこそ本当に残酷だ。私は自殺を推奨も肯定もしていないし、残された人たちの悲しみを考えればもちろん死ぬべきではないと思う。でも、一般的には大きな恐怖の対象である死の中に自ら逃げ込んだ人たちの今際の際を想像すると、自死を選んだ人に対して「戻ってきて」なんて口が裂けても言えない。私たちにできるのは、大切な人がこの世に絶望しないよう寄り添うことくらいだ。それも簡単ではないのかもしれないけれど。

 

 

  遠くに住んでいる人と急に連絡が取れなくなった。LINEは何日も既読すら付かないし、SNSは何も更新されていなかった。忙しいのかなと思っていたけれど、返信はマメな人だったから数日で心配になった。1週間以上過ぎた頃にふと、死んでしまったのかもしれない、と思った。情緒が不安定になりやすい人なのだ。その人から「死にたい」という言葉は聞いたことがなかった。でもその人はどこか危うい雰囲気を纏っていて、少し変わった言動をする。いつも私はどこかで「この人は生きていたくないんじゃないかな」と感じていた。本当に死んでしまっていてもおかしくないような気がした。何故か、この人が死んでしまっているとしたら死因は自殺だろうと思った。私にはどうすることもできないまま、それなりに長い時間が経ったある時 何事も無かったかのような返信があった。「死んじゃったのかと思った」と送ると「なんで?」と返ってきた後に続けて「死にたくないなあ」と送られてきた。とりあえず無事だったことに安堵したけれど、今でもこの人は死にたくなくても死を選んでしまいそうに思える。

 

 私の大好きな人はネガティブで卑屈だ。彼と話していると、自殺の話になることがある。先に書いたことと矛盾しているけれど、多くの人と同じように私も彼も死にたくなったりするのだ。大好きな人は私に「その時は一緒に飛ぼう」と言った。手を繋いでビルの屋上に立っている所を想像した。服と髪を風になびかせ大きな空と小さな街を背景にして笑う彼を見たら、私はきっと生きたくなってしまうと思う。私の「死にたさ」なんて所詮その程度だ。大好きな人と一緒に死ぬことより、一緒に生きることの方が魅力的に感じる。

 神を信仰していないので、共に生きることは本人に許してもらうだけで良い。

恋愛に関する雑記

 その人と初めてするキスは、今まで何人と唇を重ねていようとドキドキする。この瞬間の私はきっと、恋をしている。それまでは相手にたいした興味を持っていなくても、キスをした瞬間から、あるいは唇を重ねている時間だけは、相手を好きになっている。
 

恋愛の相談ほど無駄なものってないと思う。人間は気まぐれだし、恋愛なんてケースバイケースだから、正攻法なんてきっと存在しなくて、当事者ではない人にアドバイスを求めるなんて無意味。しかも、みんな答えは自分の中にあって、それを肯定してほしいだけ。

まあ、こんなことは多くの人も同じことを思っているのだろうけど、それでも他者に愚痴をこぼし、意見を求める。偉そうなことを抜かしてる私自身も無意識のうちにやってしまっていることがあって、やはり相手のアドバイスを実践することはない。だからと言って自分の中に答えがあるわけでもなく、改善策など見えないまま。
 
恋は人を臆病にする。相手に嫌われないように、機嫌を損ねないように、当たり障りのない言葉を選ぶ。だから本当に言いたいこと、言うべきことは飲み飲んでしまう。けれど、言う必要のないことばかりがボロボロと口をついて出てくる。嫌われることが怖い。自分が悪いと思っていなくても、すぐに謝ってしまう癖がある。直さなければならないと思ってはいても、上辺だけの謝罪をやめたらどうなってしまうのだろう、と考えることすら恐ろしい。恋の前に臆病になってしまった私の言いたいことに比例して、言えないことが増えていく。
 
趣味や彼女の有無はおろか下の名前も年齢も知らないし、会っても挨拶くらいしかしないけれどかっこいいなと感じる男性がいる。最近そのことを共通の知り合いの女性になんとなく話してみたら、彼女は本人に伝えてしまったらしい。次にその男性に会った時、少しだけ自己紹介をされた。ただそれだけのことだし、彼とこの先どうこうなるわけでもないけれど、恥ずかしくて気まずくてソワソワした。こういう日々が少し楽しくなるようなドキドキする刺激をずっと感じていたい。
 

都会の香り

関東に一週間ほど滞在し、今日やっと地元である愛知に帰ってきた。自分の家のお風呂ってこんなに落ち着く場所だったっけ。

私が田舎の芋女だからだと思うけれど、東京では電車を降りてから約30分の間に10人近い人に声を掛けられた。チラシの押し付け、アンケート、あるいはただのナンパ、目的が分からないスーツの男。
 
友達との待ち合わせに選んだ新宿駅の東口。特に意識した訳では無いけれど、ここを出たら歌舞伎町の女王になれるような気がした。初めて来るのに、私の庭だと思い込んでみたり。当然迷ったわけだけど。久しぶりに会った友達は、地元にいた頃よりもアイラインが跳ね上がっているように見えた。
 
東京は沢山の物と人が溢れすぎていて、隣を歩く人の匂いも声もよく分からない。これだから人混みは嫌いだ。
 
私の住む愛知の夏は気温も湿度も高くて、一言で表せば「最悪」だ。本当に不愉快だったはずなのに、都会の喧騒の中ではそこに戻りたくなってしまった。
 
何もかもが原色で、眩しく光っていて、耳鳴りがするほどうるさい東京の町。脳裏には、艶やかで深い青色と、私の隣で生温い風に揺れる重たそうなピアスだけが焼き付いている。
 
都会は大っ嫌い。また来るけどね。
 
 
初めて行った電子タバコの専門店は、とても甘い匂いで満ちていて、都会で1番素敵な香りのする場所だな、と思った。