最後の夏 あるいは 都会の香りその2
平成30年。世の中は「平成最後の○○」で溢れている。小説のフレーズのような「平成最後の夏」は既に使い古されているけれど、やっぱりどこか胸がざわつくような感覚を覚える。
私は今年度で大学を卒業できるはずなので、学生生活も最後になる。今は学生生活最後の夏休み。就活を終え、課題のレポートを提出したら適度にバイトをしつつ好きなことをするだけ。
久しぶりに東京に行った。3年ぶりに会った人の爪はもう深く艶やかな青ではなかった。私が真似してあけたインダストリアルもつけていなかった。私も1年以上つけていないので、とっくにお揃いではなかったのだけれど。甘い香りだけは同じだった。でもそれは電子タバコではなくて、シーシャになっていた。何で東京にいる知り合いはみんなシーシャが好きなんだろう。
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「お前は変わったね」
貴方も変わったよ
「もう会わないと思ってた」
私は忘れられてると思ってたよ
「忘れないよ」
あの頃、本当に私のこと好きだった?
「んー、普通に好きって感じ」
まあその程度だよね
「お前は?」
人生捧げても良いと思ってたよ
「今は?」
別にもう一生会わなくても良い
「俺は東京で就職するの待ってたよ」
私は他に人生捧げたい人ができたよ
「お前すぐ他人に人生捧げるよね」
誰かのためじゃなきゃ生きられない
「そこは変わってないね」
貴方は匂いが変わってないよ
「何それ気持ち悪い」
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別に一生会わなくても良いけれど、きっと東京に来るたびに会うと思う。そしてたいして内容のない会話をしてすぐ別れるのだ。普段の生活の中でお互いのことを考えたりはしない。時々ふと、思い出すだけ。
私にとって夏はセンチメンタルな季節なので、夏の曲は元気で明るいものより切ない雰囲気のものが好きだ。1番好きな夏の曲は「夏をあきらめて」。この曲には確かに暑くて眩しい夏が描かれているのに、哀愁に溢れている。私のイメージする夏そのもの。あと童謡というかこども向けなんだけど、「ぼくとイルカの夏」という曲も良い。歌詞は明るい雰囲気で、メロディーにはどこか切なさを感じる。夏の哀愁は小学生の頃から感じていた。夏の夕方に自宅の庭で何故か急に寂しくなって泣いたことを思い出す。小学校の2年か3年の時だった。それ以上の詳しいことは何も思い出せない。当時の私には分からなかったけれど、今の私と同じ感覚をあの頃も味わっていたんじゃないかなと思う。
夕方の感傷も、 真夜中の息苦しさも、フラッシュバックするトラウマも、心臓を抉る言葉も、それすらも全部愛おしいと思える。なんでってそりゃあ、最後の夏だからね。