邯鄲の夢

 私は別に物書きでも何でもないから誰かの目を意識して言葉を紡ぐ必要はないのに、この文章は私の端末から飛び出して全世界で閲覧可能なわけで、そう思うとどうしても出来事や思考を無駄に飾り立てようとしてしまう。誰も見ていないに等しいけれど。

 

 伝えたいことがあるはずなのに自分ですらそれが何なのか分からなくて、作文の宿題でいかに文字数を稼ぐかを考えていた頃を思い出す。書きたいものが分からない癖に「書かなきゃ!」っていう謎の衝動だけがあって、深夜も1時を過ぎているのにまだ布団に入れないような気になる。

 

 どう足掻いても私に関心を持ってくれない人がいた。その人に強烈で鮮明な印象に残したくて、そうすることで呪いたくて、目の前で首を掻き切ろうとか通話しながら飛び降りようとか考えていたことがある。恐怖でも怒りでも何でも良いから気持ちを揺さぶりたくて、そのためには死ぬしかないと思った。こんなことを考えておきながら、私はのうのうと生きている。死ぬのは怖い。死ぬことでしか人の視界に入れないのも、気を引く方法をそれしか思い付かないのも無様で惨めで滑稽だ。もしかすると、私が死んでもちょっと眼球を動かすだけで身体をこちらに向けることすらしないかもしれない。そうなってくるとより一層間抜けだ。

 

 私は自分の容姿に執着しすぎている。整形したいなと思う。でもその前にまだ自力で改善できるところがあるはず、と肌や髪のケアに躍起になっている。お金も時間もたくさん消費している。できれば気にしないで過ごしたい。でも気になってしまったら何もしないでいることなんかできない。ほんの僅かでも綺麗になろうと足掻くことを私はきっと一生やめられないだろうな。化け物みたいなお婆さんになるかも。いっそのこと取り返しが付かなくなるくらい私の顔が壊れてしまえば良いのにと思ったりもする。熱した油で洗顔でもしてみようか。外見ばかり気にして化粧品を塗り込む私はとても醜い。

 

 「愛されたい」「幸せになりたい」っていう言葉が嫌いだったはずなのに、最近そればかり考えてしまう。私にとっての幸せは家庭を築くことでも仕事で成功することでもないし、そもそも幸せを望むつもりはなかった。ふとした時にそう思うということはきっと本心なんだろうな。幸せって?

 

「頭のいい女の子は、キスはするけど愛さない。耳を傾けるけど信じない。そして捨てられる前に捨てる。」

マリリン・モンロー